てらだとらひこのついそう |
| 寺田寅彦の追想 |
冒頭文
寺田寅彦という名前を、初めて知ったのは、たしか高等学校二年の頃であったように思う。 あの時代は、大正の中頃といえば、わが国の社会運動の勃興時代であった。河上博士の『貧乏物語』が、高等学校の学生たちの間に熱心に読まれていた。『中央公論』や『改造』の外に、新しく『解放』という雑誌も出て、それ等がいずれも、その方面の論文で雑誌の大半をうずめ、こぞって社会運動の烽火をあげていた時代であった。 しか
文字遣い
新字新仮名
初出
「寺田寅彦の追想」甲文社、1947(昭和22)年4月
底本
- 中谷宇吉郎随筆選集第二巻
- 朝日新聞社
- 1966(昭和41)年8月20日