せいかつのこてんかにつとめられたせんせい
生活の古典化に努められた先生

冒頭文

芳賀先生の爲事を見るのに、最も著しい兩方面があることゝ思ひます。 連歌俳諧流の倭學をのり越えて國學が姿を顯した樣に、明治の國文學は、國學から分化して出て來ました。其中心が芳賀先生だつたのです。もつとも其外にも先驅者もあり、道連れもあり、追隨者もなかつた譯ではありません、でも何と言つても、先生の態度が、即時代の態度を作つて行つた事は、事實なのです。 先生及び先生の友人の方々の、國

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「芳賀先生」國學院大學院友會、1927(昭和2)年4月20日

底本

  • 近代作家追悼文集成 第二十一巻
  • ゆまに書房
  • 1992(平成4)年12月8日