りゅうげんひご
流言蜚語

冒頭文

八月二十四日の真夜中、当分杜絶(とぜつ)になるという最後の連絡船に乗って本州へ渡った。 船は樺太(からふと)からの引揚民(ひきあげみん)で一杯であった。人々は折り重(かさな)って冷(つめた)い甲板上にねていた。それからそれにも増して混んでいる東北線で一昼夜揉(も)み潰(つぶ)されて、やっと東京へ着いた。 東京は全く平穏であったが、帰りの汽車は復員輸送で往きよりももっとひどく混ん

文字遣い

新字新仮名

初出

「読売報知」1945(昭和20)年10月8日

底本

  • 中谷宇吉郎随筆集
  • 岩波文庫、岩波書店
  • 1988(昭和63)年9月16日