かそうとだいぞう しょうし・せんこつ・さんこつのふうぞく
火葬と大蔵 焼屍・洗骨・散骨の風俗

冒頭文

一 火葬の初めという事 続日本紀に、文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍(かばね)を焼いたのが、我が国火葬の初めだとある。その後僅かに中一年を措いて大宝二年には、持統天皇は万乗の尊い御身を以て、御遺骸を荼毘に附せられ給い、爾後歴代の天皇大抵この式によって、御葬儀を挙行された事に見えている。臣僚庶民の間においても無論これが行われたのに相違なく、その事実は考古学上からも或る程度ま

文字遣い

新字新仮名

初出

「民族と歴史 第三巻第七号」1919(大正8)年6月

底本

  • 先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
  • 河出書房新社
  • 2008(平成20)年1月30日