せいほうせんせいをおもう
栖鳳先生を憶う

冒頭文

さあ明治二十七、八年頃ですか、楳嶺先生や竹堂さんや吉堂さんなんどの方々がまだ生きていられ、栖鳳先生も三十歳になるやならずでその時分の絵の展覧会を今と比べて見ると、なんとのうのんびりとしていたようどす。その時分私が二十二歳で桃割髪に鹿の子を懸けて、ある人の手引で栖鳳先生に教えて頂くようになりましたのどす。その時分に何だかの寄付画であったと思いますが、尺八位の絹地に栖鳳先生が〈寒山拾得〉を描かれました

文字遣い

新字新仮名

初出

「新美」1942(昭和17)年10月

底本

  • 青帛の仙女
  • 同朋舎出版
  • 1996(平成8)年4月5日