にほんのおやま ――さんだいめなかむらばいぎょくろん――
日本の女形 ――三代目中村梅玉論――

冒頭文

今の梅玉が、福助から改名した披露の狂言は、その当時、親をがみに正月郷家に帰つてゐて、見ることが出来た。「石田(ノ)局」を出し物とし、ほかに主立つた役では今一つ「安達原」の袖萩を勤めてゐた。折も折、彼自身長く女房役をつとめて来た鴈治郎が、危篤で、出てゐなかつた。何やら、やがて来る大阪芝居の寂しさがきざしてゐるやうで、晴々とした印象が残つてゐない。それより卅年前、明治四十年の冬、政治郎から福助になつた

文字遣い

新字旧仮名

初出

「夕刊新大阪」1947(昭和22)年11月20日~22日

底本

  • 折口信夫全集 22
  • 中央公論社
  • 1996(平成8)年12月10日