どうほうおきなわのげいのうのために
同胞沖縄の芸能の為に

冒頭文

渡嘉敷守良君が戦争中を無事でゐたことは、何にしても、琉球芸能にとつて幸であつたと思ふ。戦争前に新垣松含が亡くなり、又最幸福さうに見えて、定めて円満な晩年を遂げるだらうと思つてゐた玉城盛重老人が、国頭のどこかの村で、斃れ死んだと聞いてゐる。そんな中に、恰も琉球芸能の命脈を、この程度につゞけて行つてくれると言ふことは、芸能人にとつて、どれ程喜んでよい為事か訣らない。渡嘉敷君は正にその位置にゐる訣だから

文字遣い

新字旧仮名

初出

「宮古島縁起プログラム」1950(昭和25)年6月

底本

  • 折口信夫全集 21
  • 中央公論社
  • 1996(平成8)年11月10日