日露戦争が終ってから間もなくのことであった。 わたくしのあと継ぎの松篁が行っている初音小学校の校長先生が、わたくしの家を訪ねて来られて、 「学校の講堂に飾って置きたいのですが、ひとつ児童たちの教訓になるような絵を是非描いて寄贈してほしい」 と、言われた。 非常に結構な話であり、一枚の絵でもって何千何万の児童に良い影響をあたえられるとすれば画業にたずさわるものとして、