ていちょうのいしょとちゅうさのし
艇長の遺書と中佐の詩

冒頭文

昨日は佐久間艇長の遺書を評して名文と云(い)つた。艇長の遺書と前後して新聞紙上にあらはれた広瀬中佐の詩が、此(この)遺書に比して甚(はなは)だ月並(つきなみ)なのは前者の記憶のまだ鮮かなる吾人(ごじん)の脳裏に一種痛ましい対照を印(いん)した。 露骨に云へば中佐の詩は拙悪(せつあく)と云はんより寧(むし)ろ陳套(ちんたう)を極(きは)めたものである。吾々(われ〳〵)が十六七のとき文天祥(

文字遣い

新字旧仮名

初出

「東京朝日新聞 文芸欄」1910(明治43)年7月20日

底本

  • 漱石全集 第十六巻
  • 岩波書店
  • 1995(平成7)年4月19日