あまくさしろうのようじゅつ
天草四郎の妖術

冒頭文

一 天草騒動の張本人天草四郎時貞は幼名を小四郎と云いました。九州天草大矢野郷越野浦の郷士であり曾ては小西行長の右筆まで為た増田甚兵衛の第三子でありましたが何より人を驚かせたのは其珠のような容貌で、倫を絶した美貌のため男色流行の寛永年間として諸人に渇仰されたことは沙汰の限りでありました。 併(しか)し天は二物を与えず、四郎は利口ではありませんでした。是を講釈師に云わせますと「四郎天成

文字遣い

新字新仮名

初出

「ポケット」1925(大正14)年1月

底本

  • 妖異全集
  • 桃源社
  • 1975(昭和50)年9月25日