ごにもめいじんせんつくれ
碁にも名人戦つくれ

冒頭文

十何年前のことだが本因坊秀哉(しゅうさい)名人と呉清源(当時五段ぐらいだったと思う)が争碁を打ったころは碁の人気は頂点だった。当時の将棋は木村と金子が争っていたが、人気はなかった。近ごろの将棋名人戦のすごい人気に比べて碁の方は忘れ去られた淋しさである。 将棋の人気はいうまでもなく実力第一人者を争う名人戦の人気である。昨日の名人もひとたび棋力衰えるや平八段となり時にBC級へ落ちることもなき

文字遣い

新字新仮名

初出

「毎日新聞 大阪版 第二三七九〇号」1949(昭和24)年5月29日

底本

  • 坂口安吾全集 07
  • 筑摩書房
  • 1998(平成10)年8月20日