御宝蔵方になった小松益之助は、韮生の白石から高知の城下へ出て来て与えられた邸へ移った。その邸は元小谷政右衛門と云う穀物方の住んでいた処であったが、その小谷は同輩の嫉妬を受けて讒言(ざんげん)せられ、その罪名は何であったか判らないが、敷物方と云うから何か己(じぶん)の出納していた職務のうえからであろう、とうとう切腹を命ぜられてその家財は皆没収せられ、その跡の邸は足軽などが住むようになっていたが、不思