ろうじん
老人

冒頭文

ペエテル・ニコラスは七十五になつて、いろんな事を忘れてしまつた。昔の悲しかつた事や嬉しかつた事、それから週、月、年と云ふやうなものはもう知らない。只日と云ふもの丈はぼんやり知つてゐる。目は弱つてゐる。又日にまし弱つて行く。それで日の入りがぼやけた朱色に見え、日の出が褪めた桃色に見えるが、兎に角その交代して繰り返されて行くことが分かる。そして此交代は大体から言へばうるさい。だからそれを気に掛けるのは

文字遣い

新字旧仮名

初出

「帝国文学」一九ノ一、1913(大正2)年1月1日

底本

  • 鴎外選集 第14巻
  • 岩波書店
  • 1979(昭和54)年12月19日