たかせぶね
高瀬舟

冒頭文

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を、大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上(かみ)へ通つた事ではないが、所謂大目に見る

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「中央公論 第三十一年第一號」中央公論社、1916(大正5)年1月

底本

  • 中央公論 第三十一年第一號
  • 中央公論社
  • 1916(大正5)年1月