さいごのいっく
最後の一句

冒頭文

元文(げんぶん)三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乘業(ふなのりげふ)桂屋太郎兵衞(かつらやたろべゑ)と云ふものを、木津川口(きづがはぐち)で三日間曝(さら)した上、斬罪に處すると、高札(かうさつ)に書いて立てられた。市中到る處太郎兵衞の噂ばかりしてゐる中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衞の家族は、南組(みなみぐみ)堀江橋際(ほりえばしぎは)の家で、もう丸二年程、殆ど全く世間との

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「中央公論」1915(大正4)年10月

底本

  • 日本現代文學全集 7 森鴎外集
  • 講談社
  • 1962(昭和37)年1月19日