さはしじんごろう
佐橋甚五郎

冒頭文

豊太閤(ほうたいこう)が朝鮮(ちょうせん)を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智(そうつしまのかみよしとし)が徳川(とくがわ)家の旨(むね)を承(う)けて肝(きも)いりをして、慶長(けいちょう)九年の暮(く)れに、松雲孫(しょううんそん)、文※[#「或」の「ノ」の部分が三本、102-2](ぶんいく)、金考舜(きんこうしゅん)という三人の僧が朝鮮から様子を見に来た。

文字遣い

新字新仮名

初出

「中央公論」1913(大正2)年4月

底本

  • 山椒大夫・高瀬舟・阿部一族
  • 角川文庫、角川書店
  • 1967(昭和42)年2月28日