一、堕天女記 湯の町Kと、汀から十丁の沖合にある鵯島との間に、半ば朽ちた、粗末な木橋が蜿蜒と架っている。そして、土地ではその橋の名を、詩人青秋氏の称呼が始まりで、嘆きの橋と呼んでいるのだ。 その名はいうまでもなく、鵯島には、兼常龍陽博士が私費を投じた、天女園癩療養所があるので、橋を渡る人達といえば、悉くが憂愁に鎖された、廃疾者かその家族に限られていたからであった。 所