はるかなたび
遥かな旅

冒頭文

夕方の外食時間が近づくと、彼は部屋を出て、九段下の爼橋から溝川に添い雉子橋の方へ歩いて行く。着古したスプリング・コートのポケットに両手を突込んだまま、ゆっくり自分の靴音を数えながら、 汝ノ路ヲ歩ケ と心に呟きつづける。だが、どうかすると、彼はまだ自分が何処にいるのか、今が何時なのか分らないぐらい茫然としてしまうことがある。神田の知人が所有している建物の事務室につづく一室に、彼が身を置くようにな

文字遣い

新字新仮名

初出

「女性改造」改造社、1951(昭和26)年2月

底本

  • 原民喜戦後全小説
  • 講談社文芸文庫、講談社
  • 2015(平成27)年6月10日