くさのなか
草の中

冒頭文

村から少し放れた寺の一室を借りた。そこでその夏を送ることにした。寺の芝生の庭には鐘樓と塔とがあつた。門には鐵の鋲を打つた大きな扉が夜でも重く默つて開いてゐた。塔の九輪の上には鳩がとまつてゐた。靜かな山寺である。寺には和尚が死んでゐなかつた。誰もゐないその寺の中を時々私は歩いてみた。佛壇もなければ内陣もなかつた。ただ平安朝時代の貴族の廣い館(やかた)のやうで、裏には古い塚の傍にこれはまた清らかな水を

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「文壇 第一卷第一號」1924(大正13)年7月1日

底本

  • 定本 横光利一全集 第一卷
  • 河出書房新社
  • 1981(昭和56)年6月30日