みち ――あるつまのてがみ――
道 ――ある妻の手紙――

冒頭文

一 まだ九月の聲はかゝらぬのに、朝夕のしんめりとした凉しさは、ちようど打水のやうにこの温泉場の俗塵をしづめました。二三日このかたお客はめつきりと減つて、あちこちの部屋にちらりほらりと殘つてゐる浴衣の人は皆申し合せたやうにおとなしくしてゐます。煙管を煙草盆に叩く音や、女中を呼ぶ手の音や、鈴の音が、絶間なく響く谿流の中に際立つてほがらかに聞えるのも、空虚になつた宿のしづかさを語つてゐます。これで

文字遣い

旧字旧仮名

初出

底本

  • 叢書『青踏』の女たち 第10巻『水野仙子集』
  • 不二出版
  • 1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷