きんか
金貨

冒頭文

左官の八は、裏を返して縫ひ直して、継(つぎ)の上に継を当てた絆纏(はんてん)を着て、千駄(せんだ)ヶ谷(や)の停車場脇(わき)の坂の下に、改札口からさす明(あかり)を浴びてぼんやり立つてゐた。午後八時頃でもあつたらう。 八が頭の中は混沌(こんとん)としてゐる。飲みたい酒の飲まれない苦痛が、最も強い感情であつて、それが悟性と意志とを殆(ほとん)ど全く麻痺(まひ)させてゐる。 八の頭の中では、

文字遣い

新字旧仮名

初出

「スバル 第九号」1909(明治42)年9月

底本

  • 現代日本文學大系 7 森鴎外集(一)
  • 筑摩書房
  • 1969(昭和44)年8月25日