れいしゅつげんのち
霊出現の地

冒頭文

諏訪郡塚原部落の兩墓制現況(民間傳承五ノ五)は誠に親切な好い報告だが、その中で唯一箇所、祭り墓をタッショウと謂ひ助生と書いて居るのは、「塔所であることは説明する迄も無い」とある點だけが、少々不用意な斷定かと思ふ。現に私などは全くちがつた想像をして居るのである。もう一度是非とも問題にしてもらひたい。 タッショウといふ名稱の分布は可なり弘く、殊に中部地方には多い。大體に古い墓場のやうにも考へられる

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「民間傳承五卷七號」1940(昭和15)年4月

底本

  • 定本柳田國男集 第十五巻
  • 筑摩書房
  • 1963(昭和38)年6月25日