せとないかいのしまじま
瀬戸内海の島々

冒頭文

安藝大崎上島下島 自分は大崎下島に於いて、此職業の女を招いて、仔細に内側からの觀察を聽取つた。今記憶して居る二三を記すならば、御手洗はもと神の社から出た名であるが、帆前船の時代に風待ちの湊として發達した。西やヤマジの吹く間は全盛だが、一旦コチが吹き始めると上がつたりである。といふわけは上り船は荷物ばかり多くても、船方の懷に金が無い。下りには金を持つて居るから、風を待つて居るうちは幾日も散財するが

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「民族 第二巻第四号」民族発行所、1927(昭和2)年5月1日

底本

  • 定本柳田國男集 第一巻
  • 筑摩書房
  • 1963(昭和38)年9月25日