ごがくしゅぎょう
語学修業

冒頭文

明治十年代の末期から二十年代へ掛けて、新時代の文學が芽生えたので、早稻田で文學部が創設され、早稻田文學が發刊された時分は、少數ではあつたが、若い文學愛好者の間には、清新な藝術氣分が、漂つてゐたのだ。坪内先生の企てられた文學部の教育方法は、幼稚であつても、未熟であつても、藝術教育であつた。實生活を顧慮しない天才教育のやうなものであつた。和漢の古典は元より、徳川時代の學者には蔑視されてゐた近松の淨瑠璃

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「早稻田學報 第四百八十五號」早稻田大學校友會、1935(昭和10)年7月10日

底本

  • 正宗白鳥全集第二十七卷
  • 福武書店
  • 1985(昭和60)年6月29日