いど
井戸

冒頭文

吾郷里九十九里辺では、明治六年に始めて小学校が出来た。其前年は予が九つの年で其時までも予は未だ学文ということに関係しない。毎日々々年配の朋輩と根がらを打ったり、独楽を打ったり、いたずらという板面を仕抜いていた。素裸で村の川や溝へ這入っては、鮒鰌をすくったり、蛙を呑んでいる蛇などを見つけては、尻尾を手づかみにして叩き殺す位なことは、平凡ないたずらの方であった。又たまにはやさしい遊びに楽しかったことも

文字遣い

新字新仮名

初出

「馬醉木 第十一號」根岸短歌会、1904(明治37)年5月5日

底本

  • 作家の自伝102 伊藤左千夫
  • 日本図書センター
  • 2000(平成12)年11月25日