わたしのあったおとこのひとびと
妾の会つた男の人人

冒頭文

森田草平氏 四年ばかりも前に鴈治郎(がんじろう)が新富座(しんとみざ)で椀久(わんきゅう)を出した時に、私と哥津ちやんと保持(やすもち)さんが見にゆく約束をしました。さうして私と保持さんは始めから一緒に行つて、新富町についてから哥津ちやんに散々待ち呆(ぼう)けを喰されたあげく、這入(はい)つた時にはもう満員ですわる所がないやうな有様でした。しかし出方のあつかひで私達は二階の帳場に席をとりました。

文字遣い

新字旧仮名

初出

「中央公論 第三一年第四号」1916(大正5)年4月1日

底本

  • 定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代
  • 學藝書林
  • 2000(平成12)年5月31日