ぼうがくととうきょう
望岳都東京

冒頭文

天城山より笠山まで むかし太田道灌が始めて江戸城を築いた時、城上に間燕の室を置て之(これ)を静勝軒と名付け、東は江戸湾を望み西は富士秩父の連嶺を軒端に眺めた所から、東を泊船亭と曰(い)い西を含雪斎と曰うたとのことである。静勝軒を題として記述した詩文に、「西嶺当曰(レ)窻雪界曰(レ)天」、又は「西望則逾曰(二)原野曰(一)而雪嶺界曰(レ)天」とある句は、蓋(けだ)し実景をよんだもので、雪嶺

文字遣い

新字新仮名

初出

「霧の旅」1934(昭和9)年4月

底本

  • 山の憶い出 下
  • 平凡社ライブラリー、平凡社
  • 1999(平成11)年7月15日