みてすぎたおんな
見て過ぎた女

冒頭文

「戀とは綺麗なことを考へて汚いことを實行するものだ。」と、西洋の誰れかが云つたやうだが、若し誰れも云はなかつたとしたら、おれがさう云はうと、日比野は思つてゐた。 彼れは早熟であつたので、八九歳の頃から男女關係についてひそかに空想を描きだしてゐた。十一二歳の時分に「梅暦」を讀んだくらゐだつたから、小説の亂讀によつて色戀の情緒は早くから、發育さされた。しかし、一方で家庭の教訓や基督教の感化などに

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「婦人倶楽部 第七巻第二号」講談社、1926(大正15)年2月1日

底本

  • 正宗白鳥全集第十二卷
  • 福武書店
  • 1985(昭和60)年7月30日