しつだい
失題

冒頭文

一刻も早く家へ帰り度い気持と、それとは反対に、どこかへ行つて見度いといふ気持——がその二つの心にのみ面接してゐたといふ程ではなく、ただその朧ろげな二つの気持を「空漠」とした白さが濡紙のやうにフワリと覆つて、つまり彼はその三つの心を蔵して歩いてゐた。而も彼は家路へは逆に歩いてゐた。——。 (その宵に限つた事ではない。一度外出して、帰路に着かうとする時はいつも同じやうに起る近頃の彼の気持である。

文字遣い

新字旧仮名

初出

「十三人 第三巻第一号(一月号)」十三人社、1921(大正10)年1月1日

底本

  • 牧野信一全集第一巻
  • 筑摩書房
  • 2002(平成14)年8月20日