Ⅰ 暖かな宵の口であった。微赤(うすあか)い月の光が浅緑(あさみどり)をつけたばかりの公孫樹(いちょう)の木立(こだち)の間から漏(も)れていた。浅草観音堂の裏手の林の中は人通(ひとどおり)がすくなかったが、池の傍の群集の雑沓(ざっとう)は、活動写真の楽器の音をまじえて騒然たる響(ひびき)を伝えていた。 被官稲荷(ひかんいなり)の傍の待合(まちあい)を出た一人の女は、浅草神社の背後(うしろ)