明治も初めの方で、背後(うしろ)に武者絵(むしゃえ)などのついた人力車が東京市中を往来している比(ころ)のことであった。その車を曳(ひ)いている車夫の一人で、女房に死なれて、手足纏(てあしまと)いになる男の子を隣家へ頼んで置いて、稼ぎに出かけて往く者があった。 小供は三歳位であった。隣家の者はおもがとおり一片(いっぺん)の世話であったから、夜になると、父親の車夫が帰らなくとも、 「もう、爺親