らくじつのこうけい
落日の光景

冒頭文

一 私の妻は乳癌に罹り、築地の癌研附属病院で左胸部の切除手術を受けた。更にコバルトを照射するため、大塚の同病院の放射線科に移ることになった。私達の自動車が大塚の病院の構内に沿って左折した時、道路に面したその石垣の上に、いずれも夥しい花をつけた沈丁花が植込まれているのが、私の目に入った。一瞬、私は噎(む)せ返るような、沈丁花の芳香を幻覚する。 妻の病室は三階の三十八号室である。妻

文字遣い

新字新仮名

初出

「新潮」1960(昭和35)年8月

底本

  • 澪標・落日の光景
  • 講談社文芸文庫、講談社
  • 1992(平成4年)6月10日