まあまあこじのべん わたしのあるいてきたみち
まあまあ居士の弁 私の歩いてきた道

冒頭文

早稲田の森の青春 早稲田に入ったのは、大正六(〔七〕)年で学校騒動で永井柳太郎、大山郁夫氏等が教授をやめられた年の九月であるが、早稲田を志望したのは早稲田は大隈重信侯が、時の官僚の軍閥に反抗して学問の独立、研究の自由を目標として創立した自由の学園であるという所に青年的魅惑を感じて憧れて入学したのである。丁度当時は、第一次欧洲戦争の影響で、デモクラシーの思想が擡頭して来た時代である。

文字遣い

新字新仮名

初出

「文藝春秋」文藝春秋新社、1950(昭和25)年8月特別号

底本

  • 浅沼稲次郎 私の履歴書ほか
  • 日本図書センター
  • 1998(平成10)年8月25日