一 この息(いき)もつかず流れている大河(たいが)は、どのへんから出て来ているだろうかと思ったことがある。維也納(ウインナ)生れの碧眼(へきがん)の処女(しょじょ)とふたりで旅をして、ふたりして此の大河の流(ながれ)を見ていた時である。それは晩春の午後であった。それから或る時は、この河の漫々たる濁流が国土を浸して、汎濫域の境線をも突破しようとしている勢(いきおい)を見に行ったことがある。それは初