しなののくに めいじさんじゅうにねん
信濃国 明治三十二年

冒頭文

信濃の國は十州に境つらぬる國にして山は聳えて峯高く川は流れて末遠し松本伊那佐久善光寺四つの平は肥沃の地海こそなけれ物さはに萬たらわぬことそなき四方に聳ゆる山々は御岳乘鞍駒か岳淺間は殊に活火山いつれも國の鎭めなり流れ淀ます行く水は北に犀川千曲川南に木曽川天龍川これまた國の固めなり木曽の谷には眞木茂り諏訪の湖には魚多し民のかせぎは紙麻綿五穀みのらむ里やあるしかのみならす桑取て蠶養(コカヒ)の業の打ひら

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「信濃教育会雑誌  第一五三号」1899(明治32)年6月号

底本

  • 淺井洌
  • 松本市教育会
  • 1990(平成2)年12月20日