一 家康(いえやす)の本陣へ呼び付けられた忠直卿(ただなおきょう)の家老たちは、家康から一たまりもなく叱り飛ばされて散々の首尾であった。 「今日井伊藤堂(いいとうどう)の勢(ぜい)が苦戦したを、越前の家中の者は昼寝でもして、知らざったか、両陣の後を詰めて城に迫らば大坂の落城は目前であったに、大将は若年なり、汝らは日本一の臆病人ゆえ、あたら戦を仕損じてしもうたわ」と苦り切って罵ったまま、