此方から見ると対岸の一(ひと)ところに支流の水のそそいでゐるのが分かる。其処迄は相当の距離があるので、細部は見えないがやはり一つの趣があるやうに見える。即ち、直線的な一様な対岸が其処で割れてゐるのだから、割目の感といつたらよいかも知れない。併しその支流は極めて小さいもので、人々の注意する程度にも至つてゐない。 晩秋のある日、自分は病後の体を馴らすために、対岸、つまりその支流のそそいで居る