何事にも倦果(あきは)てたりしわが身の、なほ折節にいささかの興を催すことあるは、町中の寺を過る折からふと思出でて、その庭に入り、古墳の苔を掃(はら)つて、見ざりし世の人を憶(おも)ふ時なり。 見ざりし世の人をその墳墓に訪(と)ふは、生ける人をその家に訪ふとは異りて、寒暄(かんけん)の辞を陳(のぶ)るにも及ばず、手土産たづさへ行くわづらひもなし。此方(こなた)より訪はまく思立つ時にのみ訪ひ行き、