中洲(なかず)の河岸(かし)にわたくしの旧友が病院を開いていたことは、既にその頃の『中央公論』に連載した雑筆中にこれを記述した。病院はその後(のち)箱崎川にかかっている土洲橋(どしゅうばし)のほとりに引移ったが、中洲を去ること遠くはないので、わたくしは今もって折々診察を受けに行った帰道には、いつものように清洲橋(きよすばし)をわたって深川(ふかがわ)の町々を歩み、或時は日の暮れかかるのに驚き、いそ