明(みん)の宣宗(せんそう)の宣徳年間には、宮中で促織(こおろぎ)あわせの遊戯を盛んにやったので、毎年民間から献上さしたが、この促繊は故(もと)は西の方の国にはいないものであった。 華陰(かいん)の令をしている者があって、それが上官に媚(こ)びようと思って一疋(ぴき)の促織を献上した。そこで、試みに闘わしてみると面白いので、いつも催促して献上さした。令はそこでそれをまた里正(りせい)に催促して