喬(きょう)は晋寧(しんねい)の人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それは顧(こ)という友人であったが、その顧が没(な)くなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰(むらやくにん)がひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。そして二人が交際しているうちに、その邑宰が没くなったが、家に貯蓄がないので家族達は故郷へ婦ることができなかった