ちちおや
父親

冒頭文

一 多喜子は六歳の時に此処に来たことがあるさうであるけれども、さうした覚えは少しもなかつた。石段になつてゐるやうな坂の両側に宿屋だの土産物を売る店だのが混雑(ごた〳〵)と並んでゐて、そのところところから温泉(ゆ)の町のしるしである湯気がぱつと白く夜の空気を隈取つた。 『不思議ね。ちつとも覚えてゐないわ』『さう……』 姉の政子はそんなことは何うでも好いといふやうに素気(そつけ)なく言つて、ぐんぐ

文字遣い

新字旧仮名

初出

「令女界 第四巻第八号」1925(大正14)年8月1日

底本

  • 定本 花袋全集 第二十二巻
  • 臨川書店
  • 1995(平成7)年2月10日