父の顔を知らない私には、母は「母と父をかねた両親」であった。 私の母は二十六の若さで寡婦となった。 人一倍気性が強かった。強くなければ、私と私の姉の二児を抱いて独立してゆけなかったからである。 母の男勝りの気性は、多分に私のうちにも移っていた。 私もまた、世の荒浪と闘って独立してゆけたのは、母の男勝りの気性を身内に流れこましていたからなのであろう。