パリのてがみ |
巴里の手紙 |
冒頭文
ライネル・マリア・リルケは一九〇二年八月末はじめて巴里に出た。「美術叢書」(Die Kunst)を監修してゐたリカルド・ムウテル教授に囑せられてロダン論を書くためであつた。リルケは先づ、ソルボンヌ區トゥリエ街十一番地に寓した。八月二十八日の夕方、妻クララに宛てて、「誰れももう疑へませぬ、私は巴里に居るのです、いま私の住まつてゐるこの一隅がどんなに物靜かであつても。私は唯一つの期待(une seul
文字遣い
旧字旧仮名
初出
「四季 第四号・昭和十年二月号」1935(昭和10)年1月25日、「四季 第五号・昭和十年三月号」1935(昭和10)年2月20日
底本
- 堀辰雄作品集第五巻
- 筑摩書房
- 1982(昭和57)年9月30日