次ぎの手紙の斷片は、リルケの作品をポオランド語に飜譯したヴィトルト・フォン・フレヴィチのさまざまな質疑に答へて詩人が書き與へた返事のうちの「ドゥイノ悲歌」に關する部分である。この手紙には日付がないが、消印によつて一九二五年十一月十三日のものであることが知られる。 ⁂ ……ここでは、親愛なる友よ、ごく僅かなことしか私自身にも言へません。 詩そのものを手になさつて、