ゆくはるのき |
行く春の記 |
冒頭文
三月のはじめから又僕は病氣でねてゐました。漸つと快方に向ひ、この頃は庭に出られるやうになりました。もう春もだいぶ深く、牡丹の蕾が目に立つてふくらんで來てゐます。去年の春はその牡丹が咲き揃つてゐる間中、僕はよくその前で一人で長いこと怠けてばかりゐたものでした。「しばらくありて眞晝の雲は處かへぬ園の牡丹の咲き澄みゐること」そんな利玄の歌などを口ずさみながら。——その牡丹は、けふもまだあちこちに咲き殘つ
文字遣い
旧字旧仮名
初出
「婦人公論 第二十六巻第六号」1941(昭和16)年6月号
底本
- 堀辰雄作品集第四卷
- 筑摩書房
- 1982(昭和57)年8月30日