ばしゃをまつあいだ
馬車を待つ間

冒頭文

1 「やあ綺麗だなあ……」 埃りまみれの靴の紐をほどきながら、ひよいと顏を上げた私は、さう思はずひとりごとを言つた。 崖ばらに一かたまり、何んの花だか、赤やら白やら咲きみだれてゐるのが、夕闇を透かしながらくつきりと見えたのである。 「その躑躅でございませう? ——本當に今が見頃でございます……」 ひとりごとのやうに言つた私に、さう愛想よく答へたのは、一番末の妹らし

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「新潮 第二十九年第五号」1932(昭和7)年5月号

底本

  • 堀辰雄作品集第一卷
  • 筑摩書房
  • 1982(昭和57)年5月28日