ねむれるひと
眠れる人

冒頭文

その女が僕を見てあんまり親しげに微笑したので、僕はその女について行かずにゐられなかつた。もうすべてのものは眠つてゐた。ただ風だけが眼ざめてゐた。が、それとても、町中に散らばつてゐる紙屑をすら動かすほどのものではなかつた。それはむしろ空氣の流れと云つた方がいい。それが僕をうしろから押すのである。眼を閉ぢてそれに押されるままになりながら、僕ははげしい疲勞を感じてゐる。女は僕から十歩ばかり先に歩いて行く

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「文學 第一号」第一書房、1929(昭和4)年10月1日

底本

  • 堀辰雄作品集第一卷
  • 筑摩書房
  • 1982(昭和57)年5月28日