きゅうきんしがきんぎょういっぺんをよみて
泣菫氏が近業一篇を読みて

冒頭文

穉態を免れず、進める蹤を認めずと言はるる新詩壇も、ここに歳華改りて、おしなべてが浴する新光を共にせむとするか、くさぐさの篇什一々に数へあげむは煩はしけれど、めづらしき歌ごゑ殊に妙(たへ)なるは、秀才泣菫氏が近作、「公孫樹下にたちて」と題せる一篇なるべし。はしがきによりて窺へば、氏が黄塵の繁務を避けて、美作の晩秋たまさかに骨肉の語らひ甘かりし折の逍遙に、この一連珠玉の傑品あり。「ああ日は彼方」と調べ

文字遣い

新字旧仮名

初出

「第弐明星 第弐号」1902(明治35)年2月

底本

  • 蒲原有明論考
  • 明治書院
  • 1965(昭和40)年3月5日