悲しき副膳のお肴 万延元年の四月の末の方、世はもう、青葉に風が光る初夏の候であった。 京都所司代酒井若狭守忠義は、月並みの天機奉伺として参内した。ご用談が、予定以上に長くなって、灯がつく頃になっても禁裡を退出しなかった。侍従岩倉具視は、 (この機を逸しては——) と、考えた。そして、久我建道と相談して、そっと女房を経て、御膳の『御した』のお下げを乞い、これを酒井に賜わっ